C・G・ユング 共時性と因果律
「元型」とは別の言い方で述べると、事象の背後にある、あるまとま
り、パターンである。ユングは研究者として初期のころ、心理テストを
使って家族のそれぞれの成員のコンプレックスのパターンが非常に似通
っていることを見いだしている。このような個々のコンプレックスは互
いに因果的な関係をもたないのに、あるまとまりを示している。ユング
はこの背後にあるまとまりを「元型」という語で捉えたのである。
家族は互いに影響しあっているのであるから、それらが似通うのは因
果論的な結果ではないのか、という反論が当然あるかもしれない。しか
し、ユングは先に述べた分裂病者の治療にみられるように、どうしても
因果的には説明がつかないが、ある事象が連関してまとまりをもって生
じてくる経験を重ね、「元型」ひいては「共時性」という概念を打ち出
すようになる。著名な例を挙げてみよう。
ユングが40代後半のころである。彼が見ていたある婦人は非常に理
知的で堅い人で、それゆえ、治療が行き詰まっていたのであるが、ある
とき、この婦人は黄金の甲虫を与えられる夢をみる。その話をユングに
語っているときに、窓ガラスに何かがコツコツと当たる音がするので、
窓を開けてみると黄金虫が飛び込んできたのである。婦人は驚き、理知
的な堅さにひびが入り、そこから治療は進展したのであった。
このような「意味ある偶然の一致」をユングは「共時性」と称し、重
要視する。このような考えは「意味のない」ものであり、そんなことに
意味を見いだすのは科学的でないというむきもあろう。実際、ユング
自身もこの考えを発表するのは長い間ためらっており、後で述べるよう
に、東洋思想にこの考えに対応するものか伝統的にあるとわかるまで公
表をさしひかえていたくらいであった。
フロイトの精神分析の考えがアメリカなどで急速に広がっていった大
きな要因の一つは、その対系が因果律的な構えをとっていたことによる
と思われる。神経症の原因は無意識へと抑圧されたコンプレックスであ
り、それゆえ、それを意識化することで結果としての治療がもたらされ
る、というように。ユングはこのような考えを否定するものではない
が、自身の素質や治療経験から、このような因果律的な枠組みを踏み越
えようとしていく。しかし、このような方向へ歩んでいくことは、とく
に西洋文化の中においては孤独となることを覚悟せざるをえず、また、
その考えの発表には慎重であらねばならなかった。ユングを勇気づけた
のは友人の中国学者、リヒャルト・ヴィルヘルムなどをとうしてしった
東洋思想であった。そこには、フロイトと別れた後、精神的危機に陥っ
たユングが「無意識のプロセスに強いられて」自分でもなぜかわからぬ
ままにひたすら描き続けた図形の絵に対応するものが「曼荼羅」とい
う名称でその伝統的な思想体系の中に位置づけられていたのである。ま
た、彼が重視した「共時性」の原理も、『易経』の中に高度な体系とな
ってすでに表されていることを見いだす。そこでは、コインなり、筮竹
なりを使って偶然できたパターンが、因果律的な連関ではなく全体の
パターンと呼応しているという「世界の見方」が採られている。これ
は、ミクロコスモスがマクロコスモスと共時的に呼応しているという考
えである。もちろん、ユングによって、これらは単なる思弁ではなく、
個々の患者の症状や悩みがどのようなマクロコスモスのパターンの下に
あるのか、つまりどのような元型が布置しているのかを把握し、それを
動かしていこうとする、極めて実践的・治療的な基盤につながっていた
のである。