C・G・ユング 出会いと別れ
C・G・ユングは1875年にスイスのバーゼルに牧師の子として生まれ
た。フロイトよりも19歳年下ということになる。ユングは幼少の頃か
ら多感で、宗教性を帯びた印象的な夢をよく見る子どもであった。実
際、晩年に書かれた「自伝」を読むとよくわかるように、ユングは、ま
さにこのような夢に導かれた人生を送ったとさえいえよう。これは牧師
であった父親の影響もあったであろう。しかし、父親が伝統的な既成の
宗教の枠組内で言動することに対して、ユングは少なからず違和感を覚
えていたようで、そのような枠組みに収まらない自らの内的体験に根ざ
して、宗教性というものを探求しようとする方向性をもっていた。この
ような素地に加えて、霊感の強かった母親の勧めもあってゲーテに触れ
た少年ユングは哲学書を読みふけるようになる。一方で、自然科学への
関心も捨てきれなかった彼はどちらの方向を選ぶか迷った末、バーゼル
大学に入学し医学を専攻した。まもなく、父が亡くなり、経済的な苦
労をしながら、ユングは精神医学を志向するようになる。
当時精神医学は医学の中ではまったくマイナーな分野であった。そ
のような分野をユングが選んだのは、精神医学が主観的なものに関わら
ざるを得ないこと、つまり「自然と霊との衝突が一つの現実となる場
所」であったからである。ここにユングは自分の人文系への関心と自然
科学への関心が出会う領域を見つけたのである。
25歳になったユングはチューリッヒ大学のブルグヘヘルツリ精神病院
の助手となる。教授は、「精神分裂病」という語を最初に提唱した。高名
なE・ブロイラー教授であった。この師の下でユングは精神病患者の治
療に取り組んでいく。しかし、当時の精神医学は患者の症状の記述や、
分類することに重きを置いており、多くの医者は精神病は了解不能であ
り、その症状に意味などないと考えていた。これはユングを失望させ
た。彼はひたすら治療に邁進する中で、徐々に一見不可能な患者の症状
や動向に隠された「意味」があることを、自ら創った「言語連想法」や
治療経験から確信するのであった。
フロイトの「夢判断」が出版されたのはユングがブルグヘルツ病院に
入った年である。ブロイラー教授に勧められて、ユングはこの書を読む
が最初はよく理解できず、途中で放棄している。しかし、上に述べたよ
うに治療経験を読むなかで、精神病の背後にある意味が了解できること
を理解するようになっていたユングは、「夢判断」を再読し、そこに自
分の見方を得た思い出感激する。
フロイトに傾倒していったユングは学会などでも彼の説を引用し、賛
意を表明するのだが、当時のアカデミズムの世界では「いかがわしい」
フロイトの説を取り上げることは、学者としての立場を危うくする危険
を伴うものであった。だが、ユングは経験から得られた「真実」を守る
ため、フロイトを擁護しつづけ、さらには自著の「診断学的連想研究」
をフロイトに送る。ここから、フロイトとユングの交流が始まるのであ
る。
フロイトにとっても非ユダヤ人であり、アカデミヅムの世界で将来
を有望視されているユングが親近感をもって賛同してくることは、精神
分析学を広めていくうえでも好ましいことであった。手紙のやりとりの
後、1907年についにフロイトの招きで二人は出会うことになる。32歳
のユングと51歳のフロイトは、延々、13時間も話し続けたという。二
人は互いに惚れこみ合い、フロイトはユングを「跡継ぎの息子」とみな
し、3年後に国際精神分析学会が創設されたときには、その会長として
ユングが任命されている。
このように協調しあった二人であったが、根本的な考え方の相違はす
でに最初から潜んでいた。フロイトにとってその理論の核として揺るが
しがたいものであった「性理論」は、ユングにとっては感銘を受けつつ
も、「ためらいや疑惑」を抱かせるものとして映った。この二人の相違
の背景は、一つには、神経症患者を中心に診たフロイトと、分裂病患者
を多く診たユングの違いが挙げられよう。また、もともと神秘主義的な
ことがらに関心が強かったユングの素質も関係しているであろう。非合
理な事をあくまで合理的に明確にしようとするフロイトに対して、ユ
ングは非合理のさらに奥底に進もうとする。分裂病者の症状を、精神分
析理論では説明できないと感じたユングは、神話の世界にその類型を身
いだし、その世界に没頭していく。このようなユングの動きはフロイト
を苛立たせた。この苛立ちはユングが「変容の象徴」を出版することで
決定的なものとなる。そこには、フロイトにとっては、性的なものであ
らねばならぬ「リビドー」が不当に拡張され、「心的エネルギー」とみ
なされており、エディプスコンプレックスさえ否定的に扱われていたの
である。二人は決裂した。出会ってから、7年の後であった。