C・G・ユング 普遍的無意識と個人的無意識
フロイトもユングも人間のこころに無意識という層を考える。フロイ
トの考えた無意識とは、意識にとって苦痛な事、不快なことが抑圧さ
れた場である。これは意識へと回帰してくるのだが、本来それらは受
け入れがたいものであるため、意識との間にせめぎ合いが起こり、結果
現れてくるのが神経症の症状である。すなわち、ここでは個人の自我と
いうものがまずあり、自我が体験する中で不快な受け入れがたいことが
らか無意識へと抑圧されていく。この意味で、ユングはフロイトの考え
た無意識を、「個人的無意識」と呼んだ。
ユングの考えたこころの構造の大きな特徴として、このフロイトの
「個人的無意識」のさらに下層に個人を超えた人類に共通する無意識の
層を仮定したことがあげられる。彼はこれを「普遍的無意識」collective
unconscious」と呼んだ。フロイトにせよ、ユングにせよ、これらは頭
で考えてつくったものではなく、すべて実際の患者の治療を通して生み
出された臨床の経験に基づくものである。では、なぜ、実際の経験から
導かれた「無意識」という考えであるのに、このように異なるのか、そ
れは、先に少し触れたように、フロイトが神経症患者を主に診たのに対
してユングは初期に分裂病者を多く診たという臨床経験の違いが一つの
大きな理由として考えられるであろう。具体的なエピソードを一つ挙げ
てみよう。
ユングが勤務していた病院である分裂病者が窓の外を見ながら、首を
振っていた。いぶかしんだユングがどうしたのか問うと、患者は、太陽
からペニスがぶら下がっており、それが左右に動くと風が吹くのだと答
える。数年後、ユングがギリシャ語で書かれたミトラ祈祷書を読んでい
ると、その中に、太陽から筒がぶら下がっており、それが西に動くと東
風が、東に動くと西風が吹くという、先の患者が言っていたことと酷似
している記述に出会うのである。ユングは治療の中でこのような例と
数多く出会い、個人的な経験を超えた人類に普遍的に共通するイメージ
の場として「普遍的無意識」を考えたのである。さらにこのように共
通する神話的なモチーフや形象からなるイメージの基本的な型として
「元型」という概念をユングは提唱している。
現代精神分析学 牛島定信 より抜粋いたしました