心理学 浦 光一 コンプレックスとは 6
コンプレックスとは
ある友人の精神科医と飲みながら話をしているとき、自分はどうしてもジャイアンツが好きになれない、どうしてだろうか、というので、それは”なめくじコンプレックス”のせいだ、と答えたことがあります。関西には割にこういう人が多いのです。それを東京コンプレックスといってもよいかも知れません。つまり、陽の当たる場所にいる人たちを、湿っぽい草葉の陰で恨みがましくじっと見つめている、ということです。その友人はひどく感心し、それでわかった。しかしコンプレックスに気づいたのに、俺のジャイアンツ嫌いはいっこうに収まっていないが、これはどいうことなんだ、と聞き返してきました。
普通、コンプレックスは無意識ということになっています。だから、意識化すれば簡単に解消される、と思っている人が少なくありません。先のアンナ・Oの例が有名なこともあるのでしょう。しかしコンプレックスが無意識なのは、それを意識することが辛いからです。意識化とは受け入れにくい現実を自分のものとして受け入れることです。意識化とは受け入れにくい現実を自分のものとして受け入れることです。コンプレックスは、わが国では通学、劣等感コンプレックスのことを指しています。しかしおのれの劣等感を自ら認めることは、意外に難しいものです。社会的地位によって学歴コンプレックスをカバーしたり、教養によって金銭コンプレックスをないことにしている例はたくさんあります。当の本人はそれでうまくやっているつもりですが、他人から見れば丸見えの場合がほとんどです。
そこでなめくじコンプレックスに戻ります。おそらくこの人のコンプレックスは、意外なことに、この人自身が多かれ少なかれ陽に当たっていることに発しています。医師としてある程度それを楽しんでいるのです。しかし、だからといって自分がそれほど立派でないこともわかっています。医師とか先生とかいってみたところで、所詮は食べて寝るだけの、いつか死ぬことでは普通の人とまったく変わらない存在です。死ぬときは皆一緒です。そんなことを嬉しがっている自分に多少の恥じらいがあります。だから少しばかり陽が当たって威張りかえっている奴が鼻持ちならない。かれらが本気で偉いと思っているように見えるからです。そして世間も、そんな下らない奴らを自分より偉いと思っている。そのうえ自分自身、軽蔑している人気者たちと同じように、もう少し陽に当たりたい気持ちがある。医師仲間での優劣の評価も気になっています。このあたりの屈折した気持ちが、おそらくなめくじコンプレックスを作っているのです。