深層心理学の無意識
深層心理学は、無意識をあつかいます。無意識は意識と対としてあつかわれます。意識と無意識については、フロイトとユングが先ずあげられますが、フロイトとユングの意識と無意識のあつかい方は異なっています。この二人は同じ精神分析運動をしたのですが、違い過ぎていました。当然離れることになり、ユングは、彼独自の心理学を打ち立てました。それが分析心理学という訳です。
自我とはなんでしょうか。自我(エゴ)は認知、感情、行動などの精神諸機能を統制、統合する心的機関、を意味する仮説構成概念です。
主に精神分析学派によって用いられていますが、その意味するところは各学者によって若干異なります。初め、S・フロイトは無意識を統制する「意識」という意味で自我を用いていましたが、後にイド、超自我、外界の要求から生じる精神力動的葛藤を現実原則に従って調整する機関として自我を定義しました。
他方の、ユングの分析心理学における自我は、自分の存在についての一般的認識と記憶データーからなる資料の複合体で、意識の統合の中心、として、定義されています。
統合とは、(機能を高めるために)二つ以上のものをあわせて一つのまとまりあるものにすること。<国語辞典より>
統制とは、てんでんばらばらになりがちなものを、一つに取りまとめること。(二)本来自由であるべき思想(言論、経済行為)に対して、国家権力などが、制限を加えること。<国語辞典より>
次に、意識とは何でしょうか。無意識と対の意識とは、前に書いたのですが、この対というのは、正確でなく、無意識の意識化という関係にあり、ここでは一つの連なりとして感じます。注意を向けることによって、無意識を意識化していくわけです。ここでは、深層心理学としての意識と無意識をあつかっています。ここではこう書くのがいいと思われます。
無意識とは、今日、精神分析学が無意識の心理学とも呼ばれ、無意識は精神分析学の鍵概念となっています。精神分析学では、無意識という用語は形容詞的に用いられるか(無意識的な)、あるいは名詞として用いられるかによってその意味するところが異なります。形容詞的に用いられる場合は、現実的には認め難い欲望や感情、思考の性質ゆえに強く抑圧されて、意識には上がってこないものをいいます。すなわち、S・フロイトの力動論的視点からの定義で防衛機制が働いた結果、意識の外へ押し出されたもので、力学的心理学の概念です。
他方、名詞的に用いられる場合は、局所論的視点から見たもので、意識、前意識とともに人間の精神構造(心的装置)を形成する一部で、深層心理学の概念として捉えることができます。
ユングも同様に、無意識の働きを重視しフロイトと違って無意識のもつ建設的な働きを強調するとともに、無意識の層を世代や時代を超えて人類に共通な普遍的な無意識としての、集合的無意識(普遍的無意識)と、個人的無意識に分けています。
意識を無意識に注意を向けると言いましたが、どのように向けるのでしょうか。それは、夢によってといっていいでしょう。夢は無意識を知る手段です。S・フロイトは、夢は無意識を知る王道だと言い、ユングは、夢分析をすることで、普遍的無意識を知る方法と考えていますし、行っています、まさに王道をユングは行っています。精神分析はそれほど夢を扱いませんが、分析心理学では、夢をおおいに扱います。常に夢に戻り、夢に帰るのです。ですから、ユング心理学では、夢を見たらそれを書いて、分析者と語ることでその夢を味わっていきます。
分析心理学は、イメージの心理学と言われ、またコンプレックスさえ見いだせる心理学で、影の面が現れてくる場合もあり、なかなか受け入れことができない人もいるくらいです。
深層心理学は、フロイトやユングによって語られたわけですが、私たちは、現在を生きているわけですから、彼等とは遠く離れていると思いがちですが、または、彼らの時代より進んでいると思われますが、人類はまだまだ超えることはないでしょう。