心理学 浦 光一 記憶 5
記憶
フロイトが当初、先輩のプロイエルと共同発表した”アンナ・o”という症例は、多彩なヒステリー症状(先に述べた解離性障害です)を呈したことで知られていますが、その一つにコップから水をのめない、というのがありました。患者を催眠状態にし、どうしてそうなったのか、忘れられた記憶を思い出させると、飼っていた犬がコップに口をつけて水を飲んでいるのを見てから、ということがわかりました。それだけでその症状はとれたのです。いやな思い出を思い出さないでいると、自分でも訳のわからない、しかも不都合な症状として現れるのは、多重人格にしろ一時的な健忘にしろ変わらないようです。ただし催眠状態で思い出したことは、催眠から覚醒すると思い出すことができないのが普通です。この方法でヒステリー症状のすべてがなくなるわけでもないので、やがてフロイトは催眠から離れます。しかし催眠現象は、心と体が意外に深いところでつながっていることを示していますので、いわゆる催眠術といった、興味本位のテーマにとどまるものでないことはわきまえておく必要があります。
ところで、忘れるということはごく普通のことです。十年前の誕生日に、どんなことがあったか、よほどのことがない限り覚えている人はほとんどいないでしょう。そのように消えた記憶がどこへいってしまったのか、はなかなか興味ある問題です。日本に独特の心理療法の一つに内観療法というのがあります。これは自分にとって大切な人、たいていの場合は母親ですが、その人の今までして貰ったこと、して返したことなどを、できるだけ昔にさかのぼって思い出してゆくものです。すると今まですっかり忘れていたこと、例えば小学校二年生の父兄会で母親の着ていた羽織の柄まで細かく思い出せる、といったことが起こります。ある中年の男性は、子どもの頃母親に叱られて裏の庭の隅で泣いていたとき、ドクダミの葉っぱの下からコオロギが現れて長いひげをゆらめかせていたシーンを思い出しました。それによって、今までコオロギを見ると妙に物悲しい気分になるその理由がわかった、といいます(三木、1976)。
とすれば、庭の片隅で泣いていた記憶はすっかりなくなっているのに、コオロギをみるたびにその時の気分が思い出されていたことになります。つまり、失われた記憶はすっかりなくなったのではなく、それとわからぬ形で現在の意識に影響を与え続けていたわけです。アンナ・Oがコップから水を飲めなくなったのは、犬が自分のコップから水を飲むのを見たためです。しかしその記憶は消えています。しかしその時の気分がそのまま心の底に残り、現在の意識に影響を及ぼしていたのです。消えた記憶は無意識の世界に沈んだのですが、なお現在の意識の中に奇妙な形で生き延びていたことがわかります。これがコンプレックスと呼ばれているものですが、それについては後で考えます。
最後に記憶についてもう一つ言っておきます。作家のドストエフスキーには、二歳のとき教会に連れられていったとき、窓からツバメが飛び込んできて大騒ぎになった記憶がありました。人間がいつ頃まで記憶をさかのぼらせることができるのかは微妙な問題です。ピアジェというスイスの心理学者はやはり赤ん坊のとき、乳母に連れられて公演を散歩していましたが、人さらいが現れて乳母が抵抗し、何とか逃れることができた事件を覚えていました。そのときの男の表情までです。しかしだいぶ経ってから、この話が乳母の作り話であったことがわかりました。作り話がばれるまで、この話を何度も聞かされるうちに、自分なりに空想の羽を広げ、この場面を勝手に作り上げたのでしょう。偶然の乳母の告白がなければ、一生実際の記憶としてとどまったはずです。ドストエフスキーの場合もそうかもしれません。
私自身にも似たような経験があります。田舎育ちでしたので裏庭に池がありました。そこに私がうつ伏せに浮かんでいる姿です。いつ頃だったか、たぶん小学校低学年の頃でしょう。その話を得意になってしていて、一人の友だちに、どうして浮かんでいる自分の姿を見ることができたのか、問われて初めてその矛盾に気づきました。実際に池で浮かんでいたのは本当の話です。ピアジェ同様、私もでっち上げた記憶を、論理的に合わない部分があったにもかかわらず、長い間本物と思っていたのです。