心理学 浦 光一 若者コンプレックス—見捨てられ不安と呑み込まれ不安 9
若者コンプレックス—見捨てられ不安と呑み込まれ不安
ところで現代の若者たちの問題は、先に述べたウイニコットの指摘とかなり密接につながっているのです。というのは、二人いて一人になる力を身に付けるには、かなり難しい問題が含まれてるからです。幼児がだんだん成長してきますと、当然のこととして自立の傾向が高まります。しかし母親から離れすぎることは、しばしば見捨てられる可能性を含みます。子どもが自分から離れすぎることは、しばしば見捨てられる可能性を含みます。子供が自分から離れていくのを喜ぶことは、たいていの母親にとって辛いことです。だから知らず知らずのうちに、子どもをいつまでも抱え込もうとします。結果的に自分から離れてゆこうとする子どもを受け止めかねて、子どもから見ると見捨てられることになりやすいのです。だから離れることができない。二人いると一人になれないのです。ということは呑み込まれていることになります。その結果、子どもは母親から離れることもならず近づきもならない、文字道り進退極まった状態に追い込まれます。マーラー(1981)のいう分離固体化のプロセスはこのことを指しています。しかし、まあまあの母親なら、この危機的状況を何とか乗り越える、というのがウィニコットの考えです。
現代の若者たちの過剰な自立志向には、おそらくこの幼児体験が影を落としています。オーバーにいえば、飲み込まれ不安から逃れるために、必死になって自立を目指しているのです。そのことによって依存性を切り捨て、それが世界との親しみ深い関係性を失わせ、逆に深刻な見捨てられ不安の虜となり、自立したはずのおのれの存在の基盤を揺るがせられている、といってよいでしょう。これを自立コンプレックスというのが依存コンプレックスというのかは、それほど大きい問題ではありません。ただ若者たちが意識的に必死で目指しているものが、無意識的な幼児体験に根ざしているかもしれぬことは、考えておいてよいと思います。