トリックスター
ユングは、トリックスター像が、心理学的にみて影と等価だと考えました。「トリックスターは、個々人の劣等な性格特徴を集約した、集合的な影の形姿です」。しかし、トリックスターの出現は、太古の祖先から受け継がれた痕跡の証拠以上のものを表す。たとえば、『リア王』の中でトリックスターが登場するのは、現実状況の中にその原動力があるからです。
王が、自らの傲慢な意識の肥やした大失敗のために狂って彷徨うとき、そこに伴するのは「より賢き」道化です。
しかしながら、トリックスター・イメージでの活性化は、惨禍が生じたこと、もしくは危険な状況が生じていることを意味します。夢、絵画、共時的なできごと、失言、ファンタジーの投影などの中に、さらには、あらゆる個人的な事件の中にトリックスターが現れるとき、すでにそこには補償的なエネルギーが流れはじめています。とはいえ、トリックスター像の認識はその統合に向けての第一歩にすぎません。その象徴の出現とともに、無意識的、破壊的な原初の状態へと注意が引き寄せられますが、まだ克服されていません。しかも、個々人の影は風雪に耐えた人格の構成要素であり、けっして完全に取り除けません。集合的なトリックスター像は繰り返し、生まれ出て、救済者気どりのイメージにつねには随する精力的な力とヌミノースを体現しています。
ユングがトリックスター像を知ったのは、バンデリアの『喜びの製作者』によってです。ユング自身は、ラディンの『トリックスター・北米インディアン神話研究『
』のドイツ語版に『トリックスター像んの心理学について』と題する注解を書きました。現代の分析心理学では、ウイルフォードが、このテーマに関してもっとも信頼できる仕事を残していると一般に認められています。