心理カウンセリング療法と料金

深層心理学の誕生

私は、今日もだけれども、河合隼雄先生の著作をとうしてユングを知り、さらに、さらに、ユングを解ろうとして、夢分析を滝川先生に受け、ユングを読解して、今日まで来た次第です。

であるので、純粋なユング派ではないかもしれないけれど、ここはやはり、河合先生を頼り中公新書、無意識の構造、河合隼雄著を用いて、次の文章からは、丸写しだったり、自己表現に変えたりで、いろいろあるけれど、大いに許してもらい、深層心理学の誕生と題して書いています。また、自分がどれほどわかっているのかの材料にもなるためである。

また、カウンセリングについては、こういわざる終えない。要は、一生をかけて、そうした、あるいはこういう、自分自身をかけて、カウンセリングをやりぬく以外に、答えは見つからない。また、そういうカウンセラーと付き合うしかないのだと。さらにそいう信頼のおけるカウンセラーと共に歩くしかないのだと述べたい。それが自己実現の道だ。

ある40歳過ぎの家庭の主婦が、急に耳が聞こえなくなってしまい、驚いて耳鼻科の診療を受けに行った。耳鼻科の医者は慎重に検査をした結果、耳の器官にはなんらの異常がないので、精神科の診療を受けるようにと言った。彼女はなんとも不安に感じたが、仕方なく精神科へやってきた。

彼女は確かにぜんぜん耳が聞こえないらしく、後ろで大きい音を立てても振り向かないし、表情も変わらない。しかし、こんなときには我々は、彼女の状態が心理的な問題からきているのかどうかを調べるひとつの方法を持っている。それは、彼女は耳が聞こえないので、筆談をするわけだが、筆談を交わしながら、こちらはそこに書く質問などを声に出して言いながら書いてゆく。そして、彼女がだんだんと筆談の中に引き込まれたきたと感じたとき、それに関連したことを紙に書かずに口頭で質問する。すると、不思議なことに彼女はそれに応答してくる。つまり、彼女は聞こえていることが判明するのである。

筆談中に、「ご両親は?」「早く死にました」など筆記のやりとりをしながら、「それじゃ苦労されたでしょう」とこちらが独り言のように言うと、「ええ、ずいぶん」などと答えが返ってくるのである。ときには思わず噴出したくなるようなときさえあるが、相手はまったく真面目なものである。

彼女は仮病だろうか。けしてそうではない。聞こえないときは本当に聞こえないのである。前記のようなとき、すかさず、、あなたはいま私の言ったことが聞こえたでしょう、と言っても、なかなか納得してくれないし、態度が硬化してしまって、同じような手段を用いても、もう通用しなくなるときもある。つまり、彼女はリラックスしているときは、自然に聞こえるらしいのだが、そうでないときは確かに聞こえないのである。いったい何にが生じているのだろうか。

 彼女の耳は「聞こえるのだが聞こえない」状態にある。そこで心理療法をすることになった。治療者と患者のあいだの信頼関係を通じておこなわれるものである。

治療者の声ははっきりと聞こえるようになり、他の音も聞こえ出したが、不思議なことに。彼女の夫の声がどうしても聞こえなかった。彼女が「主人の言うことなど聞きたくない」という意思を表明しているかのように感じた。

治療は当然夫婦関係のことにすすめた。彼女は大変なことを思い出した。耳が聞こえなくなる少し前に、彼女は彼女の夫が外で浮気をしていることを知人から聞かされたという事実がある。彼女の思い出すところによると、彼女はその話を聞いたとき、不思議に怒りも悲しみも感じなかったのである。むしろ40歳を過ぎればどんな男でも、そのようなことはあるだろうなどと思った。離婚とか何とか騒いみても結局損をするは女のほうなんだから、とも思ったという。

ところが、このことを治療者に話しているうちに、彼女の心の底から怒りがこみあげてきた。絶対に離婚したいとも言った。しかし、興奮がおさまってくると、いますぐ離婚といってもいったいその後にどうするのか、何も知らない子供たちを巻き込んでしまうのは避けるべきではないかなどと、迷いが生じ始めた。葛藤は烈しく、辛い話し合いを続けていくなかで、彼女の夫の声も聞こえ、耳が聞こえないという症状からは、まったく脱け出すことができたのである。

これは考えてみると、彼女が夫の浮気を知るという心の傷を受けたとき、そんなことはなんでもないことだと思い、忘れてしまうほどだったにもかかわらず、その古傷の痛みによって、彼女の耳が聞こえないという症状が出てきたのではないかと思われる。実際、彼女はその後に夫と対決して、新しい夫婦関係をつくりあげ、立ち直ってゆくのである。

これをヒステリーと呼んでいる。

心理的な問題が身体的な症状に転換しているという意味で、転換ヒステリーということもある。また身体的症状といっても、身体の器官には障害がなく、その機能に障害がある場合であり、ストレスによって生じる胃潰瘍など身体器官がおかされる場合とは区別して考える。

ヒステリーの治療を通じて、その心理的なメカニズムを明らかにしたのは、精神分析の創始者であるフロイトである。フロイトが当時ウイーンの開業医であったブロイラーとともに『ヒステリー研究』を出版したのは、1895年のことであるが、その中には5人の症例を通じて、ヒステリーの心理が解明されている。

フロイトの考えに従って説明してみよう。彼女が夫の浮気を知ったとき、彼女の意識はそれをまともに受け入れることができなかった。それに伴う感情は烈しすぎて耐えられないものであったろうし、夫に対する怒りから離婚へと直結していく心の動きと、離婚に伴う損失とのあいだで妥協点を見出すための苦痛にも絶えられないとするならば、彼女が自分の存在を破綻させない唯一の方策は、そのことを忘却することだけであった。といってもこのことが意識的に行われたのではない。一個の生活体の反応として、われわれがヒステリー性健忘と呼ぶ事象が生じたのである。しかし、彼女の記憶は完全に抹殺されたわけではなかった。その後の治療の経過の中で、彼女がきおくをよみがえらせている点からも知る事が出来る。                                          ここでフロイトは「無意識の心的過程」の存在を主張する。つまり、彼女にとって、夫の浮気はその後意識されることはなかったが、それは無意識内に存在し続け、それに伴う情動は意識されないままにはたらきつづけるので、ついにはそれが身体的な症状へと転換されたと考えるのである。そこで、話し合いを通じて無意識内に追いやられていた内容を呼び起こして意識化し、それに伴う情動をもあわせて体験することによって、ヒステリーを治療しうると考えたのである。

フロイトはヒステリーの原因となる体験を「心的外傷」と呼んでいる。それは、古傷が痛みをもたらすように、本人の気づかぬ作用をとおして障害をもたらすからである。このような外傷体験とそれに伴う情動を意識の外に追いやることを「抑圧」と名づけている。ヒステリーの治療は、抑圧されている外傷体験を思い出し、意識化することが大切なのである。

フロイトは『ヒステリー研究』を出版したのちも、無意識の研究をつづける。そして、「無意識に到る王道」としての夢に注目し、1900年に『夢判断』という書物を出版する。この名著も出版された当時は誤解や反発に会い、600部が売りつくされるのに8年もかかる有様であった。それは彼の考えがあまりにも画期的であった上に、無意識界にうごめく性の衝動をあからさまに取り扱ったことが反発を感じさせたことも大きい要因となっている。また、フロイトがユダヤ人であり、大学に勤務していなかったので、フロイトの精神分析のグループが、ユダヤ人の私的な集まりのように見られ、アカデミックな世界から無視されていたことも大きいことであった。

そのころ、ユングはスイスのチューリッヒ大学の助手で新進気鋭の精神医学者として知られていた。彼もフロイトとは独立にヒステリーやその他の精神病の患者などと接することによって、無意識の心的過程の存在の必要性に気づき始めていた。多分これは連想自由実験を道してだと思われる。その時、彼はフロイトの『夢判断』を読んですっかり感激したのである。その後、両者の間に手紙のやりとりがあり、とうとうユングは夫人と共にフロイトをウイーンに訪問した。

1907年3月3日、日曜日、ユング夫妻はフロイトにウイーン駅頭に迎えられた。

先覚者に会ってユングの感激は大きかったし、質問したいことも山積みしていたんであろう。フロイトは自分の業績について始めて、アカデミックな領域にいる、ユダヤ人でない人に認められた嬉しさでいっぱいであったろう。

その後、両者は精神分析学の成立のために協力し●い、1908年には主にアメリカのクラーク大学に招かれて講演をし、1909年には国際精神分析学協会を設立せしめた。しかし、1913年を境にして2人はきっぱりと分かれてしまい、独自の道を歩むことになった。けれども共に無意識の世界に魅せられていたことは共通の事実であった。

 日常生活の中で、ひょっともの忘れをしたり、思いがけない失敗をしたりするが、ここが明らかになった。

ところで、フロイトのもとに集まった人びとの中から、まず離反していった人にアドラーがあった。彼もユダヤ人であったが、フロイトの性衝動の重要視にあきたらず、人間の権力衝動のほうを重視して、異なる説をたてたのである。フロイトの精神分析学に対して、アドラーは自分の説を個人心理学と呼び、ユングは自分のそれを分析心理学と呼んで、おのおの区別している。フロイトの弟子たちの中から、その後も離反して独自の説を立てた人が相当あるが、ここでは述べない。ただ、ナチスのユダヤ人迫害によって、多くの有名な精神分析家家がアメリカに亡命し、そこにおいてむしろ、精神分析学が意識に盛んとなったことを、指摘しておく。

アメリカにおいて特徴的なことは、それがアカデミックナ領域に容易に浸透してゆき、大学内の精神科医や心理学者がその学説を大いに取り入れたことである。次にアメリカにおける精紳分析家の中で、フロイトがむしろ生物学なモデルに頼ろうとするのに対して、文化・社会的面をを強調する、いわゆるネオフロイト派と称する人たちが出てきたことである。ホーナイやフロム、サリヴァンなどがこの中にはいる人たちである。

その他細かく分けると、いろいろな学派に分類できるが、人間の心を層構造的にとらえ、無意識の存在を重要と考える点を共通としていることから、それらは総称して深層心理学といわれることもある。

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