心理学 浦 光一 知覚機能 1
知覚機能
知覚とは、生来の感覚を通して、対象を見分ける働きです。ハエと犬と人間とでは感覚の働きがずいぶん違っています。だから同じものを見ても、心に映っているイメージでは相当異なっているはずです。ハエや犬に心があるとしての話です。人間がある範囲内の光波や音波しか知覚できないことは、周知してます。生物の中には、人間よりはるかに鋭く広い感覚で、客観世界を知覚しているものがたくさんいます。だから生物ごとに見ている世界は違うのですが、それぞれの知覚された世界が客観世界に対応している限り、なんとか戸惑わないで生きていけるのです。
例えば逆さめがね(上下が逆さに見えるめがねです)の実験では、始めこそ誰でも戸惑うのですが、何日もかけているうちに慣れてしまい、やがて世界が普通に正位していて見えるようになることが知られています。そもそも人間の眼に映っている世界が逆せば世界が逆さなのか斜め場なのかどうでもよく、客観世界客観世界に対応しておりさえすればよいのだから、これは当然です。だから私たちが外界を感覚を通して客観的に正しく見ることはできません。人間の五感を通しての偏りが常にあります。動物の場合も同じです。ここで不図、心とは、の疑問が湧いてきました。心というものを見た人は誰もいません。それがどこにあるのか。この頃は一般に脳のどこかと考えられていますが、心臓と思っている人もいます。以前は横隔膜だとか肝臓だとか本気で信じている人たちもいたそうです。(例えば、マイヤー)。いずれにしろ何らかの意味で体とつながっている、ということでは一致していたらしい。しかし、すのつながりを明らかにすることは、現状の医学でもまだ難しいのです。心の働きに生理的には説明できない面が多いからです。その一つが意識です。意識とは心のどんな働きなのか、それはいつ頃、どのようにして機能し始めるのか、現在、どのような生理的変化がどのような影響を意識に与えるのかについては、かなりのことがわかっています。ですから、心理学とは意識の心理学となります。
しかし、そうした説明を無視するのではありませんが、いっそのこと、無意識というものと仮定し、それが意識に影響していると考えた方がわかりやすいのではないか、という人たちが現れました。意識を意識の側から説明しようとすると、道義反復(例えば「意識を意識する」とか)に陥りやすいからです。それがフロイト(Freud’s.)やユング(Jung’c・g.)の考え方でした。似たような考えはずいぶん以前からありましたが、哲学的思索の地にとどまっていたのです。ユングの診断的連想検査(1996)がフロイトのいう無意識の存在を実証的に確かめた、というのは有名です。コンプレックスという、本人にはまったく気づかれていない心の部分が、連想に明らかにそれとわかる影響を及ぼしていた訳です。もっともコンプレックスをさらに深く探っていくと、身体プロセスに突き当たるといわれています。