象徴
記号と象徴の違いは、記号は常にそれが代表している概念以下のものであるが、象徴はその明白で直ちにわかる意味より以上の何ものかをあらわしている。その上、象徴は、自然で無作為な産物である。誰もペンや筆を持って、これから象徴を作り上げるのだ、ということはできない。誰も、論理的な結論や意図的な試みによって得たある程度合理的な考えを取り上げて、それに象徴的な形態を与えるようなことはできない。どれほど素晴らしい装飾物をこのような考えに与えるにしても、それはやはり、その背後にある意識的な考えと結合している記号であって、まだ知られていないなにものかかを暗示するような象徴ではない。夢においては、象徴は自然に起こる。というのは、夢は生ずるもので、作られるものではない。だから、それらは、象徴に関するわれわれの知識のすべての主な源泉である。
しかし、象徴は夢にのみ現れるとは限らない。象徴はあらゆる種類の心の表現に生じてくる。象徴的な考えや感情、象徴的な行動や場面が存在する。しばしば無生物でさえ、象徴的様式を設定するうえにおいて、無意識と協力し合っているかのように思われる。時計がその所有者の死とともにとまったという話は、数多く確認されている。
象徴的なものはより以上のイメージを現している。