西洋哲学史 3
エレア学派
ピュタゴラス学派は、量と多と時空関係だけを見ていたにしてもやはり物質的なものをその哲学的思考の基礎とし、したがって物質の特定的性質を捨象したにすぎなかったが、エレア学派はさらに一歩を進めて、捨象化を最後まで徹底させ、存在のあらゆる有限な規定性、あらゆる変化、あらゆる変転の完全な捨象を原理としています。ピュタゴラス学派はまだ空間時間的存在の形式を固持していたが、エレア哲学の根本思想はあらゆる並存がおよび継起の否定です。「有のみがあり、非有、成はまったく存在しない。ここに言われている有とは、まったく没規定的で変転しない根拠であって、成のうちにある有でなく、あらゆる成を排除した有、純粋な有です。
それで、エレア哲学は、すべての存在の多様性を唯一の究極原理に還元しようとしている限りでは、一元論ですが、現存するもの、現象界を徹底的に否定することもできない、またこれを前提された根源から導きだすこともできない限ぎり、二元論におちいっています。現象の世界は、たとえそれが無本質の究極な仮象であると言われてもやはり現存しているのであり、感覚を除き去ることはできないから、エレア派にしても少なくとも仮説的には、その現存権を認めざるをえなかった。つまりは、さまざまな留保はついても、それを発生的に説明しないわけにはいかなかった。有と定有(ザインとダーザイン)との間にあるこのような宥和されぬ二元論の矛盾こそ、エレア哲学が自分を越え出さなければならないのですが、しかしこの矛盾はこの学派のはじめには、すなわちクロノファネスとともには、まだ現れていないので、原理そのものも原理の帰結も、それが形成されて行った三つの時期を経て、次第に明らかになったのです。この時期はひきつづく三つの世代にわかれています。エレア哲学を開いたのはクセノファネス、体系化したのがパルメニダス、それを完成するとともに一部その自己解消をもたらしたのがゼノンとメリッソスです。
クセノファネス
クセノファネスは小アジアのコロフォンに生まれて、ルカニアのフォーカイア人の一植民市エレアに移住し、年少ではあったがピュタゴラスと同時代者で、エレア哲学的方向の創始者とされています。彼は、すべては一つである、という命題を最初に述べた人らしい。もっとも彼はその統一について、それが概念的なものであるが、それとも物質的なものであるかと明確に規定してはいないのです。全体としての世界にまなこを向けながら、彼は神を一者と呼んだ、とアリストテレスは言っている。つまり、エレア派の「一にして全」は、かれにあってはまだ神学的、宗教的性格をもっていました。神の単一性という観念と民族宗教の擬人観にたいする半駁とが彼の出発点です。
彼は、神々が生まれたものであるとか、人間のような声、姿などをもっているという迷妄にたいして熱心に反対し、掠奪や姦通や欺瞞を神々にさせているというかどでホメロスやヘシオドスを罵倒しています。彼によれば、神は全身をもって見、全身をもって考え、全身をもって聞き、不動、不可分であり、労することなく思考によってすべてを支配し、姿も考えも人間に似ていないものです。このようにかれは、最初はただ神を有限化する諸規定と述語とを除去し、その単一と不変とを確立することに専念しながら、同時にこのような神の本質を最高の哲学原理として言いあらわしたのです。しかしかれは、まだその原理を有限な存在に向けて否定的貫徹するにいたってはいないのです。
パルメニデス
エレア学派の首領は、エレアのパルメニデス(前五百年頃生)です。彼は、クセノファネスの信奉者でした。彼の生涯について確実なことは少ししか伝わっていませんでした。
古代の人たちはすべて、このエレアの賢人を畏敬する言葉において、その精神の深くその志操のまじめで気高いことを惨憺する点で一致しています。
『パルメデイスのような生活』という言葉は、後ギリシャ人の間で諺のように用いられました。
パルメニデスはその哲学を、今なおかなりの断片が保存されている「自然について」という叙事詩のうちで語っている。これは部分わかれている。第一部ではパルメニデスは有の討究している。彼はここで、クセノファネスのまだ媒介を経ていない直観をはるかに超えながら、純粋な唯一の有という概念を、存在しないもの、したがって思考することのできないものとして、すべての多様で変化するものに端的に対立させ、そして有から生成と消滅だけでなく、時間性、空間性、可分性、差別、運動をまったく排除し、有を生成もせず消滅もせぬもの、全体であって一様なもの、変転せず限定されぬもの、不可分で無時間的に現前するものと言いあらわし、その唯一の積極的な規定として(これまでのは消極的な規定ばかりですから、言うのですが、)思考を持ち出しています。これによって彼は有と思考とを同一視しているわけです。彼はこのような、純粋な有に向けられた、純粋な思考を、現象の多様性と変化とにかんする当てにならぬ諸表象に対立させて、唯一の真実で確かな認識と名づけ、死すべきものが真理と考えるもの、すなわち生滅、個物、場所の変化、性状の変転などは迷妄にすぎない、と断定している。だからパルメニデスの一者を、全ての経験的な存在が集まって作られた統一と考えないように注意しなければなりません。さらに第二部がこれに続くのです。ここでは、非有しなわち、現象界の説明と自然学的導出とが仮説的に行われています。概念上ならびに理性上ただ一者のみがあることを信じながらも、パルメニデスはやはり現象する多様と変化とを認めないわけにはいかず、したがって彼は、感覚に迫られて現象界の説明に移りながら、推察しうる限りでは、彼は自然の諸現象を二つの不変の要素の混合から説明しています。アリストテレスはこれを、多分例証にすぎないのではあろうが、温いものと冷いいもの、火と土、と言っています。さらに、この二つのうち、パルメニデスは温いものと存在するものとを結合し、冷たいものを存在せぬものと結合した。すべてのものはこの両者のさまざまな混合にすぎず、火が多ければ多いほど、有、生命、意識も多い。自然の諸産物の完全の程度は、混いものと冷いものとの混合の割合に応じています。あらゆる存在の単一性という原理が固持されているのは、ただ次の点、すなわちパルメニデスによれば人間のうちに感覚する実体と思考する実体、すなわち肉体と精神とが同一であるという点にあるにすぎないわけです。
パルメニデスの哲学の二つの部分、有論と仮象論との間になんら内的な学的連関がないということは、ほとんど注意するまでもなく、パルメニデスは、第一部では非有や多や変化を絶対的に否定して、それらは言いあらわすことさえできないといっている。しかし、第二部ではそれらが少なくとも人間の表象のうちには存在していることを認めています。しかし非有が一般にまたどこにも存在せぬとすれば、それは表象のうちにすら存在することはできないはずで、表象のうちにある非有を説明しようとする試みが、有しか認めない立場と全く矛盾しているのは明らかです。パルメニデスの弟子であるゼノンは、有の概念を用いて感覚的表象、したがってまた非有の世界を弁証法的に破壊することによって、このような矛盾、有と非有、一と多との媒介のない並置を除去しようとした。
ゼノン
エレアのゼノンは、紀元前五〇〇年頃に生まれ、パルメニデスの弟子であり、ギリシャの哲学者のうち最初に散文をもって書いた人です。(彼は対話体で書いたと伝えられています。)彼は師の説を弁証法的に発展させて、有限なものの数多性および規定性に対立する、エレア学派の一者という抽象を最も純粋に徹させました。伝えられるところによれば、彼はその故郷の市を僭主から解放しようと企て露見のため死にいたりながら、しかもこれを平然として忍んだという人です。
ゼノンは、唯一で単純で不変の存在を説く学説を、間接的な仕方で、すなわち、現象の世界にかんする普通の観念がまきこまれる諸矛盾と指摘するという仕方で、弁護した。かつてパルメニデスが一つの存在のみがあると主張したとすれば、今やゼノンは、多を運動し存在しない、なぜならこれらの概念は次のような矛盾した結論にみちびくから、ということを反駁的に指摘するのです。
(一)多は、それを構成する一の集合である。ところで真の一(それ自身再び多でないような単純なもの)は、不可分なものであり、不可分なものはもはや大きさをもたない(でないとそれは分割できるであろうから)。したがって多は大きさをもつことができず、無限小でない。もし人がこの帰結を避けようとすれば(大きさのないものは無にひとしいという理由によって)、人は多を独立な所定量としなければならない。しかし、それ自身大きさをもち、そして他の所定量から再び大きさをもつ或るものによって分離されている(そうでないとそれはそれらと合体してしまうから)ものだけが、独立した定量です。ところで、所定量を分離するこれらの大きさは(同じ理由によって)それらが分離する所定量から他の大きさによって分離されていなければならない。等、したがってすべてはすべてから無限に多くの大きさによって分離されており、全ての限定され規定された大きさをいうものはなくなり、無限大のみが存在する。
(二)運動する物体は、目標に達するまえに、道程の半分を通過しなければならず、さらにまた残りの半分の半分をあらかじめ通過しなければならません、等々、要するにそれは無数の距離を通過しなければならないが、これは不可能です。したがって或る点から他の点へ到達するということはなく、運動は存在しない。運動ははじまることもできない。というのは、通過すべき各距離は再び無限の諸部分にわかれるからです。ゼノンが、アキレウスと亀あるいはかたつむりとの競争で、後者がどんなに少しさきに進んでいても、アキレウスはそれにおいつくことはできないとする、右に述べた空間の無限分割性によるのです。――さらに、静止とは同じ場所にあることです。矢が飛んでいる時間を諸瞬間(今)に分けると、矢は諸瞬間の各々において(ちょうど今)一つの場所にのみある。したがって矢は常に静止しており、運動は見かけにすぎない。
ゼノンのこれらの「逆説」は、物質と空間と時間の無限分割性という概念のうちにある困難と二律背反を、はじめて少なくとも部分的には正しく指摘したものであるが、アリストテレスはゼノンをこれらの識論のために弁証法の創始者と呼んでいます。ゼノンはまたプラトンにも根本的な影響を与えました。
ゼノンの哲学的思索は、エレア派の原理の完成であると同時に、その解消の始まりでもあります。ゼノンは有と定有、一と多との対立をきわめて抽象的に理解し、非常につきつめているので、エレア学派の原理のもっている内的矛盾は、後においてパルメニデスにおけるよりもいっそう目立っています。というのは、彼は一方ではその哲学活動を感覚的表象の反駁に向けながら、他方では、誤った表象の可能性そのものを否定するような説を感覚的表象にたいして掲げるという矛盾を犯しているのですが、この矛盾は、彼の現象界の否定が整合的か整合的であればあるほどますます目だたずにはいなかったからです。
ヘラクレイトス
ヘラクレイトスの原理とエレア学派の原理との関係
エレア学派の原理においては、有と定有、一と多とが絶対的に分離しており、一元論が追及されてはいるが、その実は二元論となっていた。ヘラクレイトスは、二つのものの統一である成が、有と非有、一と多との真理であるとすることによって、この矛盾を宥和させた。エレア哲学は、世界は有であるか非有であるかであるというディレンマに立ちどまっていたが、ヘラクレイトスは、世界はそのいずれ、でもない、なぜなら世界は両者であるから、と答えるのです。
◎宥和の意味(ゆうわ)
大所高所立って、相手の態度を許して仲よくすること。
歴史、年代
後世の人たちによって「暗い人」と呼ばれたヘラクレイトスは、——かれはまたその世界観についてだけではあろうが「泣く哲学者」とも呼ばれた——エフェソスの生まれで、そのアクメー壮年は前500年頃、したがってクセノファネスより後れ、大任パルメニデスと同時代の人である。彼はソクラテス次前の哲学者のうち、もっとも深いい哲学者であった。彼はその哲学思想を「自然について」という著作のうちで述べたが、今ではわずかに断片しか残っていない。一部は最古の散文の古めかしさにもよるが、主題が目まぐるしく変わることと、簡潔で含蓄の多い表現と、一般にヘラクレトスの哲学そのものが特異であることによって、この著作は、きわめて難解であり、そのわかりにくさは早くからそのようになった。ソクラテスはそれについて、「わたしが理解したし優れたものであり、わたしにわからなかったものも、同様だと思う。が、この著作には熟練した潜水者が必要である」と言った。
その註釈をしたのは後の人たち、特にストア学徒です。
流道の原理
ヘラクレイトスの原理として古代の人たちが一致して挙げているのは、次のような考えです。
すべての物は永遠の流れ、不断の運動と変転とのうちにあり、その恒存は仮象にすぎない。
何者も同じものとしてとどまらず、増大し減少し、他のものに変化し移って行く。すべてからすべてが生れ、生から死、生命のないものから生命あるものが生まれる。ただ変転、生滅の過程だけが永遠である。「われわれは同じ流れに入るとともに、同じ流れに入らず、同じ流れのうちにあるとともに、同じ流れのうちにない、なぜなら、われわれは同じ流れにふたたび入ることができず、流れはたえず散っては集まり、むしろ同時に流れ来たり流れ去るからである」とヘラクレイトスは言っている。したがって、ヘラクレイトスはすべての物から静止と不変とを放逐したという主張、およびかれが耳目をいつわりとしているのは、それが人間に、不断に変化が行われているのが、不変があるように思わせるからという見解にもとづいているにちがいないという主張は、故のないことではない。。
ヘラクレイトスはさらに、すべての生成は相争う対立の結果であり、相反する規定の調和的統合であることを示すことによって、成の原理を発生的に説明し分析している。ここから「戦いは万物の父である」および「一つのものは、楽弓と七絃琴との調和のように、自分自身と分裂しながら自分自身と一致する」という二つの有名な命題が出てくるのである。すなわち、ヘラクレイトスによれば、世界に統一があるのは、世界の生命が対立仏物に分裂しているかぎりにおいてのみであり、対立物の結合と調和のうちにこそ統一があるのである。統一は二重性を、調和は緊張を、卒引は反撥を前提し、前者は後者によってのみ生じる。七絃琴は練序の象徴、楽弓は破のそれと解することができ、いずれもアポロの属性である。—――ヘラクレイトスの他の一つの言葉には次のように言われている。「全体と全体でないもの(部分)、一緒になるものと離れるもの、調和するものと調和しないものとを結合せよ、そうするとすべてから一が生じる。」
ところで、先に述べた流転の原理は、同じくヘラクレイトスに帰せられている火の原理とどんな関係にあるのでしょうか。タレスが水を、アークシメネスが空気をアルケーとしたように、{
ヘラクレイトスは火をアルケーとした、とアリストテレスは言っています。しかしわたしたちはこの言葉を、ヘラクレイトスが他の質量論者たちのように火をもって根本物質あるいは根本元素とした。というふうにとってはならないのは明らかです。ただ成そのもののみ実在とした人が、ものの根底にある実体としてその上さらに一つの元素を成にならべるということは考えられません。だから、ヘラクレイトスは世界を特定の段階と程度とにおいて消失したりまた燃えあがったりする永遠に生きる火と呼び、また、すべての物品が黄金と、黄金がすべての物品と交換されるように、すべては火と、そして火はすべてと交換されると言っていますが、その真意は、火という休むということを知らぬ、すべてを破壊し変化させるエレメントに、しかも熱によって生命をあたえるエレメントによって、永遠の変転の力、生命の概念ともっとも目に見えるような、力強い形で示すにすぎないのです。ヘラクレイトスの場合、火が同時に運動の実体ではないとすれば、すなわちあらゆる質料に先だつ運動力が万物の生動的な過程を生みだすために用いる手段ではないとすれば、わたしたちが火と成の象徴あるいは顕示と名づけるのは、かれの真意にそうものであろう。物の多様性をヘラクレイトスは、火が妨害されて部分的に消えることから説明しています。この妨害の結果、火は濃厚化して物質的元素、最初に空気、次に水、次に土となる。しかし同じように火はまたびこの妨害にたいして優勢を回復し、新しく燃えあがる。消えてはそしてふたたび燃えるこの二つの過程が、ヘラクレイトスによると、永遠にたえず交代しています。ここからヘラクレイトスは、世界は一定の時期には原初の火のうちに熔解され(上り坂)、そして、また新しく再建される(下り坂)ということを結論づけています。
さらに彼は、火がまた個物の運動の原理であり、自然と精神の生動性の原理であると主張しています。心そのものが一つの火気であり、その力と完全さは、それがすべての粗野でにぶい物質から自由であることにかかっている。
ヘラクレイトスの実践哲学は、われわれが、われわれを変化し消滅するものへ縛りつける感覚と表象の詐りにでなく、理性に従うことを要求します。理性こそ変転のうちにある真実なもの、常住なものを認識することを教え、そして物に、おちついて世界の必然的な秩序に自己を従わせ、われわれに悪と見えるもののうちにも、全体の調和に協働することを教えるのです。
アトム論者への移り行き
エレア学派の原理とヘラクレイトスの原理とは正反対です。ヘラクレイトスはあらゆる出来あがった存在を絶対に流動的な成へ解消していますが、パルメニデスはあらゆる成を絶対に不変な存在へ消失させています。耳目を誤りとする理由にしても、ヘライトスはそれが流動する成を静止している存在に変えるからとしており、パルメニデスはそれが常住の存在を成の運動へひきいれる誤った考えの源だからとしています。したがってわたしたちは、有と成とは再び和解を要求するところの、同じ権利をもった二つの反定立であるということができます。さらに、ヘラクレイトスはゼノンの問題を本当に十分に解決したでしょうか。ゼノンはすべて現実的なものが矛盾であることを示し、ここからその非有を帰結した。ヘラクレイトスがエレア学派とちがうのは、この結論だけです。かれもまた現象界を矛盾の世界と見ているのですが、この矛盾を究極的なものとしてそこに立ちどまっているのです。かれがその積極的な原理としてもち出しているのは、エレア学派の消極的な帰結にすぎません。ゼノンが現象を反駁するために主観的に使用した弁証法を、かれは成の世界の客観的弁証法としているのです。しかし、エレア学派が否定せねばならぬと信じていた成をかれが単に主張したからといって、成をはまだ説明されたのではない。なぜあらゆる有は成であるか、なぜ一は永久に多に分かれるか、という問題はたえず帰ってきます。この問題に答えること、言いかえれば、有の原理を前提しながら成を説明することがエンべドクレスおよびアトム論者たちの哲学の立場であり課題なのです。
今までは、自然主義というか、まだ、その本質迄には辿り着くことはない。以後のソクラテスやプラトン、アリストテレスとは異なっています。しかし、この前の段階ですと、なくてはならないものでしょう。なぜなら、自分がまだ知らぬ、自然を観たとき、まず、浮かび上がってくる疑問ですし、また、発見でもあります。そして、次には、自分というもの、他者というものについて、視点が変わってきます。他人、家ぞく、自分と人間にホーカスしていきました。そして近代のデカルトが、より数式とか、関係といったものに出合うことになります。より抽象的世界が開けてきた訳です。
神としていたものより、二元論論だったり、一者というものも変わってきました。
形而上学とは
形而上学は一般に、超感覚的な世界を真実在と考え、これを純粋な思考によって認識しようとする学問、これに真正面から対立するのは、経験を認識の源泉とする経験論、さらに唯物論です。
ところがカントが、形而上学を否定し物自体の認識は不可能だとして以来、不可知論や実証主義は、およそ客観的実在やその認識可能を認めるような立場を一律に形而上学とします。ここから、唯物論もまた形而上学と規定されるようになり、ヘーゲルは、カント以前とくにヴルフに見られるような形而上学の根本欠陥は、その思考方法が反弁証法的なことにあるとし、古い形而上学という言葉で反弁証法的思考をいい表した。これが簡単化されて(形而上学)となり、マルクス主義哲学でも、弁証法に対立させる場合、この用語が使われています、<岩波、哲学小辞典より。>