西洋哲学史
歴史、年代
ピュタゴラスの数論は、サモス生まれのピュタゴラス、(前五七〇―四九六頃)に由来します。ピュタゴラスは後年南イタリアのクロトントに住み、ここで彼は、諸党派の争いによって荒廃させられていた南イタリアの諸都市を論理的・政治的に更生させようとして一つの教団を創立しました。この教団の団員は、清浄な生活、相互のかたい友情、教団の道徳、戒律、秩序、調和を維持するために協力する義務を持っていました。ピュタゴラスの伝記、すなわちかれの修行や教団や南イタリアの諸国家にたいする彼の政治的影響やについて伝えられていることのうちには、一から十まで伝説、お伽話、わかりきった作りごとが織りこまれていて、歴史的に確実と思われるところは少しもないのです。(これは前期ピュタゴラス学派が神秘的で秘教的なものを偏愛したによるだけでなく、特にピュタゴラスの伝記家である新プラトン学派のボルフェリオスやヤンブリコスが彼の生涯を歴史哲学的な物語として取り扱っているのによるのです。)彼の学説がどんなものであったか、彼が数論にどの程度関与しているか、という問題も同様に不確実です。
イオニア哲学はその発展のうちで既に、物質の特定の質を警象する傾向を示しています。物質の感覚的具体化が一般に看過されるならば、空気とか水というような物質の質的規定性がかえりみられくなって、その量的規定性、空間的関係だけが顧慮されるなら、それは同じ抽象化であって、異なるところはただ、より高次の抽象であるにすぎない訳です。量の規定されたものは数です、そして、この数がピュタゴラス主義の原理であり立場なのです。
この数については、前々から、これがいちであり、次にはにがくる。実際、数とはなにか、未知の領域のように思えて、不思議でした。