心理学 浦 光一 忘却 4
忘却
一概にいえないところがありますが、二重人格ないし多重人格の特徴の一つは、今までの人格、ということは第一人格に生ずる健忘です。第二人格に人格を乗っ取られているときの記憶がまったくないからです。酔っぱらって、その間にしたことを後から思い出せない場合のことを考えてみてください。一緒にいた仲間に聞くと、その時ちゃんと辻褄のあった話をし、勘定もきちんと払っていた、というのですがまったく思い出せない。これは一時的なアルコール中毒による健忘ですから、病的なものではないのですが、感じとしてはそれに近いものです。自分のまったく知らないところで、自分が何かやっている。しかもそれなりに筋の通ったことをしている。自分では責任のとれない状態で、結果はすべて引き受けねばならぬことをやっているのですから大変です。しかも多重人格の場合は、アルコールも何もなしにそういう状態が本人(第一人格)の知らないうちに起こるのですから、当人にすればどうしようもないことになります。
忘れる、あるいは思い出せない、ということはどんなことなのでしょうか。記憶の問題は、昨今、生理学的にかなり研究が進んできたといわれています。皆さんは時々過去の記憶をすっかり失った人が、私は誰でしょうと警察に現れたりする新聞記事を見たことがあるでしょう。現在の判断能力はちゃんとあるのです。しかし一定の過去の記憶がごっそり抜け落ちています。数年前フランスでそいう日本人が現れた、という報道がありました。いろいろ苦心して確かめてゆくと、その女性はどこかで集団レイプに遭ったらしいのです。そのためそれまでの記憶をすっかり失ったのでした。これを解離性健忘と呼ぶことがあります。すると私たちの心には思い出したくない経験と、健忘という手段で記憶から消してしまう機能があることになります。
先に述べたアメリカやカナダで多数報告されている多重人格は、おおよそそのように説明されています。第一人格(それを本来の人格としておきます)が耐えがたい経験にぶつかった場合、第一人格の知らない第二、第三の人格が現れて、その状態を何とか防ごうとするわけです。その間、何が起こっているのか第一人格はまったく知りません。その間の記憶が切れてしまうからです。確かにそれによって、第一人格は幸い思いをしないで済むのですが、多重人格という精神病とほとんど変わらない状態(先の宮崎某の鑑定結果の分かれたことを思い出して下さい)、つまり人格の統合が崩れるという犠牲を払わなければならないのです。