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西洋哲学史

哲学するとは考えること、事物を思考によって考察することです。

哲学を経験的な諸科学から区別するものは哲学の素材でなく、その形式、方法、認識の仕方です。

タレス。イオニアの自然哲学者たちの先頭に、彼をあげます。クロイソスやソロンの同時代者でミレトス生まれの彼(前六00年頃)をおくことで一致しています。彼は「すべての物の原理(アルケー、最初のもの、根源)彼は水であって、すべては水からなり水に帰るという哲学的命題を説明しました。

アナクシマンドロス(前六一一―五四六)は、同じくミレトスの、生まれです。タレスの原理を発展させようとした人です。彼はその原本質を—―彼がはじめてこれをアルケ―と名づけたと言われていますが——限界のないもの、永遠のもの、無規定のもの、すべてを包括し支配するもの、有限で変化するもののあらゆる規定性の根底ありながら自分自身は無限で没規定的なもの、と定義しました。

アナクシメネス。彼は空気を万物のアルケ―とすることで、タレスの根本思想に再びいっそう近づいた人です。彼によれば無際限ですべてを包括し不断に運動している空気から、希薄化かと濃厚化とによって、万物が形成される。彼がこのような想定をする動機となったのは、空気が全世界をとりまいており、呼吸が生命活動の条件となっているという観察です。

イオニアの哲学者たちは、自然哲学者達といえます。自然を観察し、自然から学びました。決して、神話的には答えなかったので、よけいに、単純で、シンプルな仕上がりになってしまいました。水とか空気とかは、人間も自然も答えませんが、彼等にとっては、正に答えそのものでしょう。

私たちは、先ず、現代のアルケーを発見しなくてはなりません。そして、タレスの言う、水というものを、私たちは思い出さなければなりません。

現代のアルケーは、一体全体なんなのでしょうか。

動物園や植物園にまずいってみることが大切なのです。各種の動物の住む環境がどんなものか知りたいと思います。もう地球きぼで考えなければならないと思いますし、大切でなことではないでしょうか。イオニアの哲学者が用いた、観察をしてみることは、たいへん貴重な経験といえます。

枚挙してみると、どれも空気を吸い、水を使ってみなが水に帰るなどと言ってみたくなる。経験的に同じ性質をもったものや、グループ化して、特異なものを見い出す。これは、いずれ、帰納法と呼ばれる方法論にしゅうけんされます。帰納法とは、あらゆるものを、共通に持ち、具体的なものからより上に登る方法と言えます。

帰納のことについて、書こうと思います。後々わかることですが、それは今でしょうということで、帰納的推理と正確には呼びます。

個々の特殊な事実から一般的結論を導き出す推理です。帰納的推理はアリストテレス以来認められていた推理形式であるが、中世末にいたるまで演繹よりも価値の劣るものと考えられていた。科学研究における帰納の意義と価値が明らかにされたのは近世になってからであり、とくにガリレイ・F、ベーコン以来のことである。この推理を三段論法の形式で表すと、(M1、M2、M3・・・・はPである<地球・水星、火星等は球形である>、故にすべてのSはPである(すべての遊星は球形である)という全称的な形になる。この形式の三段論法は特称的な結論しか出せないものであるから、先の推理は形式的には誤謬である。しかし、M1・M2・M3等がSの外延の全部をあげている)場合にはこの推理は正しい。

このような場合の推理を完全帰納という。これは既知の知識を一括する点で意味があるが、帰納の手本の意味は既知の比較的少数の事例から一般的結論を等しくところにある。従ってM1・M2・M3等がSの全部をつくさない場合すなわち不完全帰納が重要であるが、枚挙して一般的結論を導く単純枚挙による帰納は誤謬に陥る危険が多く、一つでもそれと矛盾する事例が見いだされると反駁される。科学研究に不完全帰納を用いるには事物の本質的な性質や連関(因果関係その他)をとらえなければならない。そうする事によって比較的少数の事例から一般的な結論を導くことができる。J・S、ミルは帰納的に因果関係を確立するための五つの研究法を説いている(→帰納法)。不完全帰納が可能になるのは自然に法則的な連関があまねく支配しているからである。ミルは帰納の根本前提として(自然の斉一性)を仮定した。帰納の場合に陥りやすい虚偽は観察の不十分さや軽率な概括にもとづくものである(帰納的虚偽)。

これに対し、濱澤は、一つ以上の命題から、それを前提として、経験にたよらず、もっぱら論理の規則に基づいて、必然的な結論を導き出す思考の手続き、三段論法がその代表的なものであるが、直接推理もこのうちに含めてさしつかえない、濱澤は帰納に対立する手続きであるが、現実の思考においてはこの両者は結合され、たがいに捕捉しあうものである。(岩波、哲学小辞典より)

イオニア哲学者たちは、おそらく、帰納的に自然を解して、タレスは水といい、アナクシマンドロスは、限界のないもの、永遠のもの無限定のもの、すべてを包括し支配するもの、有限で変化するもののあらゆる規定にありながら自分自身は無限で没規定的なものと定義した。さらにアナクシメネスは空気を万物のアルケーとした。

けして、神話や詩人的には答えを求めなかった。こうしたことは、知識の増久につながる。

以上三人のイオニア哲学者はしたがって(a)、一般に、存在するものの普遍的本質を求め、(b)それを物質的な質量あるいは基体のうちに見出し、(c)アルケーから諸元素を導出することについていくつかの予示を与えた。